日和

ひわ

Hiwa Area | CASE STUDY NO.12
 

祭りは、若い人が地域を知るきっかけになった

ちくせんをきっかけに、青年部が結成

屋台が並び、子どもからお年寄りまでが集まってわいわいとにぎやかな夜。ドーンと花火が打ち上がると、わぁっと歓声があがった。日和地区の「騒祭(そうずきんさい)」の様子である。この祭りはちくせんを機に始まった。新しく日和青年部が結成されたのも、ちくせんがきっかけになったと言えるだろう。  
本業や子育てで忙しい現役世代が、積極的に地域活動に携わるのはハードルが高い。ところが日和では20~40代の30人近くが集まり、機動力を発揮して祭りが行われた。若手が大勢参画している点で、邑南町のちくせんの中でも特異といえる。
 
ちくせんが始まった当初、日和では「武道・スポーツの里」の設立が計画されていた。だが経費が数千万円単位でかかるとわかり、それ以上は話が進まなかった。
 
そこへ偶然もち上がったのが、青年部結成の話だった。いまの青年部長、中井大介さんがUターンしたのをきっかけに「若いもんで何か面白いことしようや」と同世代に声をかけ、30人ほどが集まった。同じくUターン者で役場職員の湯浅孝史さんも、日和で何かできないかと考えていて、一気に話が進展する。
 
過去にはいくつか青年部があったものの形骸化しており、今回の青年部が、日和振興協議会に認められたことで、地区の公式な「日和青年部」となった。

祭りで育まれた、世代を超えた関係性

話を聞かせてくれたのは、日和青年部の森原真也さん、藤彌葵実(ふじやあみ)さん、湯浅孝史さんの3人。藤彌さんは、若い人たちが地域の運営のしくみを知ることができたのが、ちくせんの成果の一つだと話した。  
「どういう組織があって、どんな役があって、お金の流れはこうと。若い人が引き継ぐ上で大きな進歩かなと思います。もう一つは、年配の人と若い人が仲良くなったこと。お年寄りが草刈りしてくれとるなとか、若い人たちが祭りの準備やってくれているなと、お互いに接点ができたというか」
 
森原さんは、上の世代が祭りを「好きにやっていい」と任せてくれたからこそ、若手が主体的に動くことができたと話す。
 
「自分たちが手をまわしていかんと地区のみんなに動いてもらえんので、準備もしたり、納得してもらう方法を考えたり。そういう面で、青年部に力がついたなと感じます」
 
湯浅さんは日和で「生きていきやすくなった」と話した。同年代もそうでない世代も互いに顔がわかるようになり、何か起こっても助け合える、受け入れてもらえる安心感があるという。
 
「たとえば溝に車輪がハマったとして。誰も知らない頃に比べると、目の前の家の人を知っているとか、電話したら来てくれる誰かがいるのとでは全然気持が違います」
 
祭りは、地区内に顔の見える関係性が新たに生まれる、大きなきっかけになった。

「祭りの先は何だろう?」

騒祭はちくせん第1期の2年目にあたる2017年から2018年、2019年と3回開催された。町外からも人が訪れ、大盛況に終わった。そしていま、「祭りの先は何だろう?」を考えるタイミングにあるという。2020年より新型コロナウィルスの影響もあって、祭りは中断している。  
「もともと祭りを始めたときから、ちくせんのお金を使うのは第1期までと決めていたんです。だから次は地域のために、空き家や困りごとの解決など別のことをできたらいいよねと話していて。祭りも花火だけにするなど、縮小する選択肢もあると思う」(藤彌さん)
 
「祭りをやろうと集まった青年部なので、まずは自分たちで今後どうしたいか?を決めるプロセスが必要だなと感じています。集まる目的が祭りからそのまま地域活動になると、何で?ってなると思うんです。その辺りの移行が難しい」(湯浅さん)

地区に必要な企画を全戸から募集

祭りをどうするかについては、まだ結論が出ていないが、第2期の発展事業は新たな形でスタートを切った。日和の振興協議会から全戸配布で「これからの地区に必要なこと」を住民に問いかけ、企画を募集。結果、5つの案が寄せられた。空き家対策、地区役員の整理、子どもの遊べる場所の新設、ジビエ事業、高齢者福祉の拠点づくりなどの企画が並び、5つとも採択された。ただし、提案者の2人が辞退したことから、最終的には青年部の3人から挙がった3案が残った。  
その一つが、藤彌さん提案の空き家対策「ひわの巣不動産」である。
 
「ちくせんって人口を増やすことを目的にしながら、すぐに住める家がないんです。住める家を確保しつつ、住み始めた方のフォローまで行う、おせっかい不動産をやりたいなと思っています」
 
これから4年かけて具体化していくが、法人化するかしないか、するとしても個人法人か、地区全体としてかなどで現在迷っている。ただし人口対策を考えれば、住居の問題はまちがいなく日和の最重要課題である。
 
もう一つは森原さんの提案で、自治会などの役を整理しようというもの。
 
「オヤジの代わりに地域の役員として会議に出るようになって、いかに大変かわかったんです。自治会長などいくつも役を兼任していて、あれにも出て、これにも出て。いつも大変だって話を聞いていて。人口が減るなら、それに準じて役員も減らんとおかしいんじゃないかなと」
 
人は少ないのに役ばかり20~30もある状況が、日和に限らずどの地区でも住民の負担になっている。だが一度手をつけると、自治会再編などに絡むため、簡単には手をつけにくい。自治会ごとに積み立ててきた通帳を一つにするのか、役をまとめるのかなど課題は多い。
 
「僕自身が経緯を知らんから提案できたのかもしれない。でも大変な思いをしている人が多いから、おおむねみんな賛同してくれて。ただ、どう進めるかが問題です。役としては不要でも、地域の見守りを兼ねているような役割もあるから。バサバサ整理するんじゃなくて、思いを汲んでやっていかんといけんと思ってます」
 
実現できれば、ほかの地区でも参考にしたいモデルになるだろう。
 
3つ目の月森拓哉さんの企画は、子どもの遊べる場が地区に少ないことから、新しくバスケットコートをつくるというもの。まずは土地探しから始めている。第2期は始まったばかりだが、こうして若い人たちが地区の課題に関心をもち、取り組むきっかけになったのは、まちがいなく「騒祭」である。

「自分の子どもにも同じことをしてあげたい」

なぜそこまで地域にコミットできるのか。そう青年部のメンバーに聞くと、みんなが口を揃えて話したのが、子どもの頃の思い出だった。  
日和では昔から子どもの数が少なく、そのぶんみんな仲良く兄弟のように育ったという。彼らの親の世代、いまの60代が若かった頃、熱心に地域活動を行っていたことから、キャンプや林間合宿など楽しい行事がたくさんあった。「自分の子どもにも同じことをしてあげたい」と彼ら彼女らは話していた。そうした地元出身者の結束力があり、Iターン者の若者も入りやすい雰囲気ができている。
 
だからこそ、青年部として自分たちがやってきた祭りは何なのか?を考えたいと湯浅さんは話す。
 
「○○のために騒祭やろうやって言えるようになりたいんです。その○○をみんなで決めたい。湯浅個人の案ではなくて、できることならみんなから出てくるものを拾いたい」
 
「何か面白いことしようや」と始まった祭りがあり、そこで培った結束力や信頼関係をもとに、課題解決型の地域活動につなげていく。いまは過渡期かもしれないが、客観的に見れば、日和のちくせんは地域をいい方向に進めているように映った。