日貫

ひぬい

Himui Area | CASE STUDY NO.11
 

夜、暗闇に明かりが灯るようになった

攻めと守りで大きく前進した5年間

「これはやった方がいい、とすぐに思いました。地域にとって年300万円は大きいですから」  
初めて地区別戦略事業(以下、ちくせん)の話を聞いたときのことを、徳田秀嗣(ひでつぐ)さんはそう振り返る。
 
日貫では、生活部、観光部、産業部の3つの部会を、地区内の全5自治会から選出したメンバーで構成。各部ごとに話を進めてきた。
 
徳田さんは観光部を担う一人。本業を抱えながら地域活動に深く関わるのは負担も大きい。それでもみなその負担を負って、地区のこれからを考えてきた。なぜそこまでできるのだろう。
 
「昔は若いもん同士でイベントをやりよったんです。田んぼにクリスマスツリー立てたり、面白いことして地域のためにもなればって。でも、小学生がどんどん減っていくんですよ。このままじゃいかん。自分らが楽しんどるだけじゃだめだなと思うようになって」
 
日貫のちくせんは、第1期の5年間で大きな前進があった。観光部では一棟貸しの宿「日貫一日(ひぬいひとひ)」、交流カフェ「一揖(いちゆう)」の設立。産業部では新しく地元の産品「イノシシ餃子」を開発。生活部では、空き家調査に始まり、保育園の魅力化や他の地域から子どもの受け入れを始め、4名だった園児が20名に増えた。
 
外貨を稼ぐ「攻め」の取り組みと住民の暮らしを維持する「守り」の両面に、血が通い始めている。

大きなプランの先に枝葉が生まれる

ちくせんの条件として、町が第一に掲げていたのは「地域の人口減少に歯止めをかけるための事業であること(交流人口を含む)」。その手段として推進しているのが、暮らしを維持する「小さな拠点」づくりや「地域法人」の設立である。収益が第一ではないが、産業を生み、福祉のしくみをもち、従事者にいくらかの報酬を支払うことのできる、地区のエンジンのような機能が求められる。  
日貫の観光部に期待されたのも、やはり交流拠点づくりと収益を生むことだった。
 
「これまで長く地域に携わってきて、すべてがボランティア、ボランティア。それじゃあ長続きしないことがわかっていたので」(徳田さん)
 
初めは、町の有形文化財である旧庄屋「山崎御三家」を交流拠点とする案を「都市交流推進拠点整備事業」(*1)のコンペに提出。だが予算がかかりすぎること、運営者となる法人がまだ存在しなかったことから落選してしまう。
 
さてどうしたものかと考えて、次に着目したのが、より小規模の建物、日貫出身の建築家・安田臣氏の実家を宿にする案だった。一般社団法人「弥禮(みらい)」を有志5名で立ち上げ、農林水産省の農山漁村振興交付金制度に申請したところ2600万円を調達。建物の改修は外部の建築家やデザイナーを入れ、若い層に訴求できる魅力ある宿に仕立てていった。
 
さらに、宿のフロントにもなり、地元の交流拠点となるカフェの案を2年目の都市交流のコンペに提案したところ見事採択され、500万円の助成を獲得する。
 
ちくせんの強さの一つは、ここにある。まずちくせんを通して、太い幹となる地区の戦略ができる。それを実現するための施策が枝葉として広がり、まったく別の助成事業にもトライする機会が増える。そうして複合的に物事が進みながら、地区の戦略がより強いものになっていく。
 
2019年6月、地区のシンボルでもある大原神社の横に一棟貸しの宿「日貫一日」とカフェ「一揖」がオープンした。洗練された内装の宿に、開放的で木のぬくもりのあるカフェ。夜、まちから神社の方を見上げると、暗闇にほわりと明かりの灯る光景が見えるようになった。
 
2020年4~6月はコロナ禍の影響で休業したが、7月以降、クーポン需要もあり来客数は伸びた。取材は増え、広がりを見せている。Iターン女性の雇用、掃除や料理など、わずかながら地元のお母さん方の仕事にもなり、宿とカフェは金銭的な面でちくせんから独立しつつある。
 
「初めはこげな田舎に宿つくってどうするんだって言う人もおったんです。それが、昨日もお客さんあったねって言われるようになって。この辺りは夜になると暗いので、宿に明かりが灯っていると気付くんですね。集客は大変ですけど、魅力あるコンテンツを用意すればこの地域にもお客さんが来てくれるって一つ証明できた気がしています」(徳田さん)

(*1) ちくせんの派生事業でもある

保育園、小学校、地域の3者連携へ

観光部が「交流人口の増加」を目的にしてきた一方、生活部は「定住」をテーマに据えた。まず着手したのは、空き家の調査。80軒を調査し、すぐ住めそうな家4軒を整えて、子育て世代に斡旋。  
進めるうちに新たな課題として浮上したのが保育園の園児の減少だった。園児が4名と、閉園も危ぶまれる状況。生活部の古田五二嗣(いふつぐ)さんは話す。
 
「園の関係者や子育て世代にも加わってもらって、保育園の魅力づくりを進めようと。森の幼稚園などを参考にして、子どもたちが活動できる場を地区内に整えて、お隣の矢上からも園児を受け入れられるようにしたことで、園児が20名にまで増えました」
 
次に見えてきたのは小学校だった。
 
「小学生もいま10名。園児が増えても卒園後、よそへ出てしまえば小学校につながりません。そこで保育園、小学校、地域の3者で連携して、今度は小学校の魅力化を進めようと。連絡協議会を設けて、公開参観日をやったらどうか、放課後の児童クラブを充実させたらと検討を始めています。町も小規模特認校制度を適応してもらえるように図ってくれています」
 
一つの課題が「片付いたら終わり」ではなく、空き家、保育園、小学校…と対象が推移しながら、必要だと思うことを必要な人と連携して素直に、シンプルに進めていく。かゆいところに手が届く施策になるのは、考える側に当事者が居るからではないか。
 
もし「ちくせん」がなかったとしたら。保育園に園児はどこまで増えただろう。保育園と小学校、地域の間に、はたして連携は生まれていただろうか。

地域住民が自分ごと化できるしくみに

ただし第1期を振り返ると、地区全体に浸透させるには至らなかったと2人は話す。実践者、サービスを享受する側など、関わる人たちだけでものごとが進んでいるように見える面もあったのではないか。  
そこで、第2期の発展事業では、体制も、実施する事業も、地域全体が関わりやすいものにしていく。まずは3つの部を、自治会下の役名に合わせて「総務」「企画観光」「産業福祉」に改めた。
 
企画観光部では、大原神社で月に一度、マルシェを開催する計画が進んでいる。地元で育てられた野菜や、女性グループによる加工品、木工品などを販売できる場として、住民が買い手としても売り手としても参加しやすい環境を整える。売上は地域に還元される。
 
旧生活部の総務では、引き続き日貫小学校の魅力化を進めていく。設立150周年を迎える令和7年に向けて、何らかの成果発表をできるようにと考えている。
 
さらに今期から、産業福祉部で注力するのが「福祉」の面だ。住民アンケートから見えてきたのは、買い物、交通、見守りなどの面で将来に不安を感じる人が多いこと。まずはより細やかな意向調査を行い、具体策を決めていく。配食サービスの体制を拡充して頻度をあげ、働いた人に金銭的な還元ができるしくみを整える。
 
プランとなる幹の先に、具体策の枝葉が伸びる。そうして木が茂り成長していくその過程に、ちくせん事業がある。